2017年5月24日水曜日

【諸福天満宮】(もろふくてんまんぐう)大東市



【諸福天満宮】(もろふくてんまんぐう)大東市

由緒について;諸福天満宮は、一六四四(寛永二〇年)にこの地に勧請され、菅原道真公を祭神としている。
大東市には菅原神社がいくつかあるが、諸福天満宮も一八七二年(明治五年)に産土神社から菅原神社へと改められた。理由は不詳。
以後一〇〇年余り菅原神社と呼ばれていた。平成の修復で、菅原神社とか書かれていた額の板をめくると、天満宮の字が現れた。一七五二(宝暦二年)の作成になる菅原道真画像の掛軸を入れた箱の表にも「天満宮」の銘があることなどから、一九九九(平成十一年)一月一日をもって諸福天満宮に改称した。
本殿は江戸初期の権現造りで、桃山建築の雰囲気をよく残しており、平成の修復で元の鮮やかな色彩が蘇った。境内の石造物では、一六八二(天和二年)九月の石鳥居が最も古く、燈篭のうちでは一六九〇(元禄三年)九月が最も早いが、一七四五(延享二年)正月に奉納されたものには「河内国茨田郡諸福村五人組伊勢講中」とあって、この頃諸福に伊勢神宮の信仰集団でいていたことが知られる。
なお、末社に歯神社があり、歯痛によく効くといわれている。

住所:大阪府大東市諸福1-7-13

(撮影:2017/5/24)

【稲田八幡神社】(いなだはちまんじんじゃ)東大阪市



【稲田八幡神社】(いなだはちまんじんじゃ)東大阪市


大阪府東大阪市稲田本町の住宅地に【稲田八幡神社】(いなだはちまんじんじゃ)は鎮座しています。境内の東大阪市の案内板によると、御祭神:「仲哀天皇」、「神宮皇后」、「応神天皇」。祭礼日:宵宮10月21日、本祭り22日。
由緒について;「稲田桃」で知られている稲田の地は、古くは新開池へ合流していた旧蔆江川の両岸に営まれた集落で、「稲田村由来記」によれば、室町時代の中頃、東方に屋敷割と呼ばれる所があり、観音樋の西側に人家が18軒あったこと、誉田八幡宮を勧請して氏神としたことが記され、現在の八幡神社の沿革を知ることができます。
 八幡神社は、字宮の町と呼ばれる所に鎮座し、仲哀天皇、神宮皇后、応神天皇の三神を祭神としています。
 稲田は、南町・中町・橋本町・北町・旭町の5町に分かれ、秋祭り(宵宮10月21日、本祭り22日)の宵宮には、各町内から伊勢音頭を歌いながら、長提灯の宮入が盛大に行われます。
 境内の一きわ高い神木”いちょうの木”は、樹齢約500年・樹高約35m・幹周5mもある古木で、稲田村と八幡八幡宮の古い歴史を伝える天然記念物して昭和49年3月25日に、市の文化財に指定されています。
  
住所:大阪府東大阪市稲田本町2-24-36
アクセス:JR片町線「徳庵駅」から約900m


(撮影:2017/5/24)

【徳庵神社】(とくあんじんじゃ)東大阪市



【徳庵神社】(とくあんじんじゃ)東大阪市

JR徳庵駅で下車、徳庵商店街の北端辺りで東に入ったところに【徳庵神社】(とくあんじんじゃ)は鎮座しています。

由緒については、この神社の境内掲示によると、御祭神は、「天照皇大神」、「豊受姫大神」、「住吉大神」、「大国主大神」。往昔の沿革と創建については古文書はなく不詳なるも御社号を昔から神明社と申し上げて、天照皇大神・豊受姫大神を祀り、当地方開発の地主神として住吉大神と商繁薬事の守神として大国主大神を奉斉する。時代を経て天保2年(1000)に敬慕する奉拝者相議り神思を畏みて社殿を改築造営して八劒祠宮友田出羽亮藤原愛敬奉行して盛大な奉祝祭が行われたと伝へられています。「当地の産土さん」 として夏祭は盛大で、7月30日の宵宮、31日の本宮祭りと続き献湯神事、神楽をはじめ神賑行事で賑やかな祭り姿を今に伝へている。昭和26年に至り氏子中より浄財を勧募して現在の社殿を再建・造営し、遷座祭斎行して御社号を徳庵神社と改称す。以後漸次御社殿の威儀物をはじめ大鳥居・玉垣・手水舎・社務所等篤志の奉納建設相次ぎ、夏祭は愈々盛賑となり社頭の神賑と共に夜店が軒を連ね一夏の宵の情緒を呼んで夕涼を求めながら信者続々と参道を埋め商売繁昌家内安全等諸願成就の祈願が続き、徳庵の夏祭として往時を凌ぐ祭姿となっている。秋祭では活気ある童子等により神輿が町内を神幸して収穫への感謝で賑はひ、神思益々興隆し御氏子崇敬より奉護崇敬の誠を今に伝へている。


住所:大阪府東大阪市徳庵本町8-11
アクセス:JR片町線「徳庵駅」から約500m。

(撮影:2017/5/24)

【産土神社】(うぶすなじんじゃ)素盞嗚神社 大東市



【産土神社】(うぶすなじんじゃ)素盞嗚神社 大東市

大阪府大東市の灰塚に鎮座する産土神社(うぶすなじんじゃ)です。鳥居の額には「素盞嗚神社」となっています。敷地面積は広く立派な神社ですが、由緒等の案内板はありません。しかしながら、境内の立派なイチョウの木には大東市の「保護樹木等指定標識」があります。
また、この神社の横に【灰塚大峯堂】(はいづかおおみねどう)があります。

住所:大阪府大東市灰塚3丁目7

(撮影:2017/5/24)

【弁財天】( べんざいてん)大東市





【弁財天】( べんざいてん)大東市

正面の鳥居に向かって左側がの「大東市立保健医療福祉センター」が目印となります。
この【弁財天】( べんざいてん)の由緒等は不明です。鳥居には「弁財天」と額がかかっています。敷地面積は狭くこじんまりとした弁財天です。中の赤い灯篭はまだ真新しいです。

住所:大阪府大東市幸街8-8
アクセス:JR片町線「住道駅」から約700m。


(撮影:2017/5/24)

2017年5月22日月曜日

【熊野大神宮】(くまのだいじんぐう) 大阪市東成区





【熊野大神宮】(くまのだいじんぐう) 大阪市東成区



街道沿いのまちなみが残る大今里の住宅地から少し入ると、妙法寺と並んで熊野大神宮(くまのだいじんぐう)があります。 熊野大神宮の歴史は古く、聖徳太子の開創とされる妙法寺の鎮守社で、熊野十二所権現と呼ばれました。明治維新後の神仏分離で現社名に改めました。伊弉諾尊(いざなぎのみこと)ほか二柱を奉斉する旧大今里村の氏神で、用明天皇2年の創建と伝えられます。 石山合戦の際、兵火にあいましたが再建され、元和(17世紀前期)以降大坂城代就任と領内巡視の時は、必ず社参することを恒例とした社です。同44年(1911)旧東今里村氏神八剣神社を合祀しました。



この神社に「妙法寺」が隣接しています。



住所:大阪府大阪市東成区大今里4-16-48

アクセス: 大阪市営地下鉄千日前線 今里駅から0.4km



(撮影:2017/5/22)

【妙法寺】(みょうほうじ)大阪市東成区





【妙法寺】(みょうほうじ)大阪市東成区



 聖徳太子の創建と伝えられ、近世国学の祖と言われる契沖(けいちゅう)が、延宝7年(1679年)から元禄3年(1690年)まで住職をし、また修学の道場としても有名で、現在大阪府顕彰史跡に指定されています。



「契沖遺跡」(けいちゅういせき)

昭和24年(1949年)に妙法寺境内は、僧契沖遺跡として大阪府顕彰史跡に指定されています。近世国学の祖といわれる契沖は、延宝7年(1679年)から元禄3年(1690年)までの11年間、この妙法寺住職をし、国学の勉強に尽力した。契沖の父は尼カ崎領主青山大蔵小輔幸真に250石で仕えた下川善兵衛元金でその第三子として寛永17年(1640年)に尼ヶ崎に生まれ、11才のときに出家して仏門に入り、その後高野山で修業にはげみ、妙法寺住職となってから本格的に国学研究の学問に専念し、徳川光圀公の委嘱により、有名な「万葉代匠記」やその他多くの著作を完成させました。

 元禄3年(1690年)に慈母が当寺で死去されたのを機に、現天王寺区飼差町の円殊庵(えんじゅあん)に移り、元禄14年(1701年)62才の生涯を終えました。宝歴(1751年)頃の妙法寺は一時衰退していましたが、泊中法典和尚が住職し大黒天信仰を鼓吹してより時運隆盛になり「南にては今宮のゑびす、東にては今里の大黒」と喧伝され、庶民の群参で賑わったと伝えられています。

現在妙法寺境内には契沖の供養塔と慈母の墓があります。



場所:大阪市東成区大今里4丁目16-50

アクセス: 大阪市営地下鉄千日前線 今里駅から0.4km



(撮影:2017/5/22)

【鶴見神社】( つるみじんじゃ)大阪市鶴見区





【鶴見神社】( つるみじんじゃ)大阪市鶴見区



滋賀県大津市坂本に鎮座する日吉大社を本社としている。ご祭神は日吉大社の牛尾宮(八王子山に祭祀されている)大山咋神荒魂を主祭神し、相殿に八方の各方位を司るとされた八王子を祀っている。主祭神は「大山咋神荒魂」(おおやまぐひのかみあらみたま)。境内末社は「稲荷社」(九鬼稲荷社)、「祖霊社」( 大東亜戦争の護国の英霊を祀る。)

延暦7年(788年)、最澄は現在の根本中堂の位置に一乗止観院という草庵を建てたのが延暦寺の始まりであるが、最澄の没後、天台宗は円仁派と円珍派に分かれて激しく対立するようになった。正暦4年(993年)、円珍派の僧約千名は山を下りて園城寺(三井寺)に立てて、円仁派の延暦寺と対立し抗争を繰り返した。その影響は、比叡山の麓に鎮座する日吉大社にも及ぼした。平安時代末期、その抗争に嫌気をさした近江国下阪本村比叡辻の農民十七人が本村に開拓し移り住み、郷里の名前を取って辻村(後の下辻村)と呼んだ。「鶴見神社(八王子神社)縁起」や「小林家旧記」よると、そのときに郷里の日吉大社の東本宮(大山咋神・おおやまぐひのかみ)の元宮である牛尾山(八王子山)の八王子社を分霊を勧請したことにより鶴見神社の歴史が始まる。



「九鬼稲荷社」について;

鶴見神社の境内末社に九鬼稲荷社があり、ご祭神は摂津三田藩主九鬼隆律(くきたかのり)である。大坂の幕領検地を担当された延宝年間(1673~1680)に、下辻村(鶴見)の見地があった。当時、石高は800石余りで、低地のため度々の水害にあい平年作10年に1度という状況であった。検地に立ち会った九鬼和泉守はこれを哀れみ、100石ほど減らしてのであった。九鬼和泉守貞享3年(1686年)6月6日、30歳の若さで死去するが、元禄年間に下辻村の農民はこのことを知り、九鬼和泉守をご祭神として祭祀するようになった。





住所:大阪府大阪市鶴見区鶴見3丁目13−76

アクセス:地下鉄長堀鶴見緑地線「今福鶴見駅」から約700m。または、

地下鉄長堀鶴見緑地線「横堤駅」から約800m。





(撮影:2017/5/22)

【大宮神社】(おおみやじんじゃ)大阪市鶴見区





【大宮神社】(おおみやじんじゃ)大阪市鶴見区



由緒について;御祭神:「 天照皇大神」。名稱大神社(おおかみしゃ)とも大宮神社(おおみやじんじゃ)とも云ふ。創建:約三百年以前と思われ現在は伊勢皇大神宮の来社である大楠は当時の植樹と想像される。脇社:火車大神普天空より大車となって此地に降臨され村人が祭祀された火難を祓護される。

追記、

昔当地は河内国茨田郡下であった。茨田は日本書紀によると仁徳天皇時代に茨田親王の水害を防ぐ為に水防堤を築造され、その堤を茨田堤(まむたのつつみ)と云ひ、現在も一部残っている明治以後、北河内郡古宮村大字下となり昭和十四年六月に隣村の諸堤村と合併して茨田町となる下を大宮とし茨田町大宮となる昭和三十年四月六ヵ町村が大阪市に編入され城東区茨田大宮となる。

昭和四十九年七月に分区され鶴見区茨田大宮となり現在に至る。

(境内の案内板より)



住所:大阪府大阪市鶴見区茨田大宮1丁目18

アクセス:地下鉄長堀鶴見緑地線「門真南駅」から約700m。





(撮影:2017/5/22)

【天神社】(あまつかむやしろ)東大阪市





【天神社】(あまつかむやしろ)東大阪市( 通称名;御厨(みくりや)神社)



由緒について; 御祭神;大名持命(大国主命の別名)、少名彦命  旧御厨村の中央に位置し、大名持命、少彦名命の二神をおまつりしています。創建年代は文献が無く解りませんが、延喜式神名帳にみえる意岐部神社がこの神社であるとも伝えられています。古くは御厨神社と呼ばれ、近世以後に現在の社名が使われるようになりました。また、大正4年には新家村の菅原神社と菱屋東の稲荷神社と山科神社、荒本の荒本神社の4社が合祀されました。  境内には、市の天然記念物に指定されている「くすの木」があるほか、本殿東側にある小さな四社の殿前の元禄10年(1697)銘の石燈篭や拝殿西側にある高さが3mもある堂々とした八角形大型石燈篭など数々、寛成9年(1797)銘の狛犬、正徳元年銘の手水鉢などの石造物があります。また、枚岡神社から移築された能舞台や村相撲が盛んであったことを示す番付表も保存されています。



  住所:大阪府東大阪市御厨1-4-29 



(撮影:2017/5/22)

2017年5月15日月曜日

【仲村神社】(なかむらじんじゃ) 東大阪市





【仲村神社】(なかむらじんじゃ) 東大阪市



祭神について; 己己都牟須比命 、配祀 國常立尊、國狹槌尊、豐斟渟尊、泥土煮尊、沙土根尊、大戸之道尊、大苫邊尊、面足尊、惶根尊、伊弉諾尊、伊弉册尊、天照大神、忍穗耳尊、瓊瓊杵尊、彦火火出見尊、鵜鵜葺不合尊、琴平大神、宇賀御魂大神 由緒について; 河内国若江郡の式内社。 中臣連の遠祖、興臺産霊神(天児屋根命の父神)を祀る。仲村連の祖。  古来、疱瘡を病める者、祈れば霊験ありとて、遠近より来り詣づるもの多いとある。 伝承では、祈願をする前に、大和川(菱江川)にて斎戒沐浴を行う川瀬の祓いを行うのであったが、大和川が付け替えられた後には境内の菱沢池で祓いを受けたが、大正時代にこの風習は無くなったようです。 仲村神社は面足尊、惶根尊などを祀っている大阪では珍しい神社。 歯神社と言う歯痛に効能の神社も鎮座。 「菱沢池」について; 本社は、往古より疱瘡除けの神として中河内郡誌にも「疱瘡を病めるもの祈れば験ありと称して参詣するもの多し」とあり江戸時代には信仰を集めました。その祈願をするとき必ず禊ぎをしたと言ふ、大和川に入り斎戎沐浴を行いそのうえ川瀬祓を行った。そして社殿の軒下の雨垂れの砂を頂きこれを袋に人れて腰に下げお守りとした。ところが、大和川が付け替えられて流れが少なくなり、その後は境内に現存の池「菱沢池)に入り禊をして沢辺祓を奉仕したとされる。 しかしながら時代の変遷により環境も著しく変わり池の水位も漏水により保存困難となり、かって先人が郷土の発展の為に歴史の上に築かれたものであり五殻豊穣、家内安全を祈願されたものです。



所在地:大阪府東大阪市菱江498-2 

アクセス:近鉄生駒線荒本駅 南東へ700m



(撮影:2017/5/15)

【坐摩神社】(ざまじんじゃ)大東市平野屋





【坐摩神社】(ざまじんじゃ)大東市平野屋



創建時期と由緒については不詳。社伝によれば、坐摩神社(座摩太神宮)は享保13年(1729年)に摂州西成郡の総社であった。当神社があった地域は元は深野池という大きな池であり、江戸期に行われた大和川の改修によって「深野新田」として干拓された。それにともない、開拓権を真宗大谷派の難波別院から譲られた平野屋又右衛門(大坂の豪商/地名として残っている)が守り神として「坐摩神社」(現大阪市中央区)から分霊を勧誘したのが、当神社の由来となっている。

坐摩神(ざま/いかすりのかみ)は通常、生井(いくい)・福井(さくい)・綱長井(つながい)・波比岐(はひき)・阿須波(あすは)の五神をさすが、当神社の大正の記録では阿須波大神、波比岐大神の二神を祭神していると残されている。坐摩神は皇居の守護神であり、また住居守護・旅行安全・安産の神として信仰されている。



所在地:大阪府大東市平野屋1-9

アクセス:JR西日本、学研都市線(片町線)住道駅 東へ約1.3km



(撮影:2017/5/15)

【椿神社】(つばきじんじゃ)東大阪





【椿神社】(つばきじんじゃ)東大阪



【椿神社】(つばきじんじゃ)は東大阪市三島に鎮座しています。赤い鳥居に狛犬の替わりに狛狐が置かれています。 境内には神社の名の由来と思われる椿の木がありますが、東大阪市の保存樹であるクスノキの大木もあります。 石造物は天保四年(1833)の燈籠と二基ある手水鉢の内、年号の確認出来なかった一基に「加島屋」の名が見られましたが、屋号かと思われます。この場所は「三島新田」と呼ばれた開墾地でしたが、新田開発が元禄年間ですので、大和川付替え以降の新田開発(宝永年間)以前の開発となります。 縁起について;祭神;天光椿大明神、火除岩永大明神、三福大明神、天道大明神。 昔河内の国は天領として統治されていた土地柄でその一角をなす当地は元禄年間に江戸商人三嶋屋吉之進により開墾され三島新田として誕生した次第であります。時代の変遷と共に大阪商人松山氏の所有地となり同氏は三島新田の民百姓の安寧豊饒を願い天神地祇の座す処として希求され四柱の勧請を賜りここに椿神社の誕生を迎えたのであります。その後徳人岡本為治郎 村嵜武松両氏による境内の寄進がなされ三島自治区民の枢要なる場として永く保存するものであります。



住所:大阪府東大阪市三島3丁目18





(撮影:2017/5/15)



【椿神社】(つばきじんじゃ)は東大阪市三島に鎮座しています。赤い鳥居に狛犬の替わりに狛狐が置かれています。 境内には神社の名の由来と思われる椿の木がありますが、東大阪市の保存樹であるクスノキの大木もあります。 石造物は天保四年(1833)の燈籠と二基ある手水鉢の内、年号の確認出来なかった一基に「加島屋」の名が見られましたが、屋号かと思われます。この場所は「三島新田」と呼ばれた開墾地でしたが、新田開発が元禄年間ですので、大和川付替え以降の新田開発(宝永年間)以前の開発となります。 縁起について;祭神;天光椿大明神、火除岩永大明神、三福大明神、天道大明神。 昔河内の国は天領として統治されていた土地柄でその一角をなす当地は元禄年間に江戸商人三嶋屋吉之進により開墾され三島新田として誕生した次第であります。時代の変遷と共に大阪商人松山氏の所有地となり同氏は三島新田の民百姓の安寧豊饒を願い天神地祇の座す処として希求され四柱の勧請を賜りここに椿神社の誕生を迎えたのであります。その後徳人岡本為治郎 村嵜武松両氏による境内の寄進がなされ三島自治区民の枢要なる場として永く保存するものであります。



住所:大阪府東大阪市三島3丁目18





(撮影:2017/5/15)

【聖徳太子堂】(しょうとくたいしどう)大東市太子田





【聖徳太子堂】(しょうとくたいしどう)大東市太子田



大東市太子田に鎮座する「大神社」西側の【聖徳太子堂】には、聖徳太子十六歳の孝養像(きょうようぞう)が安置されている。いい伝えによれば、この付近に善根寺という七堂伽藍の達ち並ぶ大きな寺があったが、何時の頃か廃絶してしまい、この太子堂のみが、往時のおもかげを今に伝えるものという。古くからの太子信仰が今に継承されており、本市でも貴重なものである。太子田という地名もこの堂と深い関係がある。【聖徳太子堂】から道を挟んで斜めに【白壽弁財天】(はくじゅべんざいてん)が鎮座します。



住所:大阪府大東市太子田2-9





(撮影:2017/5/15)

【大神社】(だいじんしゃ):新田山王宮 (しんでんさんのうぐう)大東市





【大神社】(だいじんしゃ):新田山王宮 (しんでんさんのうぐう)大東市



大神社は天照大神を祀り、毎年十月二十日を祭礼日としている。境内より一壇高い拝殿の中に彩色された本殿が安置されている。本殿は神明造りで、大きさは横約130cm、縦約115cmで、屋根は桧皮葺である。 本殿前の左右に安置されている木製の狛犬の台座には「文政十亥九月吉日(1827)」と刻まれているところから、本殿はこの時に新造されたものであろう。また現在の拝殿は昭和五十三年十月に発見された棟札により「文久三亥菊月(九月)」に建立されたことがはっきりした。配殿前の燈籠一対もこの年のものである。神社の西側の【聖徳太子堂】には、聖徳太子十六歳の孝養像(きょうようぞう)が安置されている。いい伝えによれば、この付近に善根寺という七堂伽藍の達ち並ぶ大きな寺があったが、何時の頃か廃絶してしまい、この太子堂のみが、往時のおもかげを今に伝えるものという。古くからの太子信仰が今に継承されており、本市でも貴重なものである。太子田という地名もこの堂と深い関係がある。【大神社】から道を挟んで斜めに【白壽弁財天】(はくじゅべんざいてん)が鎮座します。



住所:大阪府大東市太子田2-130







(撮影:2017/5/15)

2017年5月10日水曜日

【川俣神社】(かわまたじんじゃ)東大阪市





【川俣神社】(かわまたじんじゃ)は、奈良時代から平安時代に官社となった神社の一覧表(延喜式)に記載され、その頃から祈年祭には、鍬・ゆぎ(矢を容れて背に負う道具)が備えられたと書かれています。川俣の地名は古くから知られています。 「日本書紀」には、仁徳天皇が詠んだと言われている歌があり、その中に「…川俣江の蔆殻(ひしがら)の…」は、水辺に生い茂る菱を詠っており、この川俣は、当地であると言われています。 奈良時代、僧行基が、川俣の一女性を救う話や、東大寺の大仏造営時、河俣連人麿呂という豪族が、銭一千貫を寄進したと書かれています。また奈良時代の他の書物にも、川俣・河俣・川派(かわまた)名が見受けられ、河俣氏は、古代からかなり勢力を持つ豪族であり、氏神として川俣神社を祀ったと言われています。


住所:大阪府東大阪市川俣本町10-38

【諏訪神社】(すわじんじゃ)大阪市城東区





【諏訪神社】(すわじんじゃ)大阪市城東区

祭神は、「建御名方刀美命」(たけみなかたとみのみこと)、「八坂刀売之命」(やさかとめのみこと)長野県にある諏訪大社の分社。天正18年(1590年)、小田原攻めの時、豊臣秀吉が大坂城の天守閣から外を眺めた際、森の様に木が生い茂っていた当神社が目に留まり、参拝した所、戦に勝利したという逸話があります。その際、秀吉は神社の霊験を得たとして、雄と雌の一対の獅子を奉納したとされます。雄獅子は明治18年(1885年)の大水害で流失したが、雌獅子とそのレプリカが現存しています。同神社の獅子舞は奉納後に始まったとされますが、前述の水害で資料が流失してしまった為不明。昭和に入り、戦争の為一時途絶えましたが、獅子地車保存会により1968年に復活。毎年秋祭りに行われていまする。2003年、大阪市の無形民俗文化財に指定。境内に摂社として「 大國神社」末社として、「 談山神社」、「春宮神社」、「天満宮」(腰掛天満宮)、「玉長社」、「招魂社」があります。

所在地 大阪府大阪市城東区諏訪二丁目15-16 
アクセス:JR西日本 学研都市線・おおさか東線 放出駅から南へ500m

2017年5月9日火曜日

万代池・古池龍王(ふるいけりゅうおう)大阪市住吉区





【古池龍王】(ふるいけりゅうおう)大阪市住吉区

大阪市住吉区万代の万代池公園に万代池があります。この池の中央の小島に【古池龍王】(ふるいけりゅうおう)が鎮座しています。万代池には、池を縦断出来る橋が掛かっています。真ん中の小島にまで行く事が出来ます。この島には青灰色の鳥居がある小さな祠があり、その鳥居には【古池龍王】(ふるいけりゅうおう)という額が掛かっています。
石碑には、真ん中に「古池龍王」右側上に「妙照龍王」下右から「水籠龍神」、「賢森龍神」左側上に「法照龍王」 下右からに「白僧善神」「水森龍神」「片内龍神」となっています。
この万代池については、いくつかの伝説があるといわれています。推古天皇の頃、熊野街道を行き交う人がこの辺りで不思議な魔物に襲われると云う事件が多発しました。事態を重く見た聖徳太子は四天王寺より僧を遣わし、この池に住む魔物を調伏させました。
その魔物が二度と悪さしないよう封じ込めたのがここ古池龍王の塚であり、この池の底には今もその魔物がいると伝えられています。


住所:大阪府大阪市住吉区万代3丁目7(万代池公園)
アクセス:阪堺電車上町線、帝塚山三丁目電停より、徒歩2,3分

2017年5月1日月曜日

【八王子神社御旅所】(はちおうじじんじゃおたびしょ)大阪市





【八王子神社御旅所】(はちおうじじんじゃおたびしょ)大阪市





 明治22年迄は、この地一帯は東成郡西今里村と称し、素盞嗚命(すさのをのみこと)、奇稲田媛命(くしなだひめのみこと)、大貴大命(おおなくにのみこと)の三柱を奉斎する八剣神社がここに在り、此の村の氏神さまでした。その歴史は大変古く、仁徳天皇が高津宮の皇居守護神としてお祀りされたと伝えられています。その後仁壽2年9月に里人産土神として社殿を修営し、文保2年6月に改築を行ったと記録されていますが、大阪夏の陣の兵火にあい、寛永2年に再建し、江戸時代は八劒大明神(やつるぎだいみょうじん)と称し崇敬してきました。明治5年に村社となり八剣神社(やつるぎじんじゃ)と改称、明治42年11月に東成区中本に鎮座する八王子神社は(ちおうじじんじゃ)へ合祀し、現在は御旅所(おたびしょ)となっています。境内には大きな楠が在るところから、俗に「楠神社(くすのきじんじゃ)」と呼ばれています。明治18年6月の淀川切れ大洪水のとき、この地の住民40数名が此の楠の大枝に三日間避難して、かろうじて生命が助かったと語り伝えられています。 2004年に市の保存樹に指定され「八王子神社御旅所の楠」については、幹周/11.0m、樹高/25.0m、樹齢/約1300年。



住所:大阪市東成区大今里1丁目17-10

【豊崎神社】(とよさきじんじゃ)大阪市北区





【豊崎神社】(とよさきじんじゃ)大阪市北区



祭神は、孝徳天皇です。配祀は「素盞嗚尊」「應神天皇」。由緒については、豊崎宮が廃されて、宮跡は松林となり、八本松と呼ばれていたとのこと。 正暦年間(990年~995年)藤原重治がこの地の開拓にあたり、この樹林に小祠を建立して孝徳天皇を祀ったのが起こりで、後に村民の望みで須佐之男を合祀したとのことです。

境内には、鹿島神社・豊受大社がります。鹿島神社は寛永(1624年~1644年)のころ常陸国鹿島神社より勧請し、神輿を渡し、鹿島踊りを奉納したといわれています。

また、東照宮社・厳島神社があります。東照宮社は慶長19年(1614年)徳川家康が足立市兵衛の家に憩った記念に家康の霊を祀るものです。また、稲荷神社・恵美須神社・神石があります。孝徳天皇の御履脱石といわれています。



住所:大阪府大阪市北区豊崎6丁目6-4

アクセス:大阪市営地下鉄御堂筋線 中津駅より徒歩10分

【富島神社】(とみしまじんしゃ)大阪市北区





【富島神社】(とみしまじんしゃ)大阪市北区



祭神は、速素盞烏尊です。 配祀:天照皇大神、八幡大神、住吉大神、奇稻田姫命 。合祀:豐受皇大神、菅原道眞。境内に摂社として、鷺島神社「豐受皇大神 」、美津社「兵衛府八幡、天児屋根命、事代主神、猿田彦神」 、稲荷社、天満社、御神木があります。

この【富島神社】(とみしまじんしゃ)パワースポットとしても有名で、特にこの神社のお守り「勝守」(かちもり)はとても人気で、試合や勝負どきに買われるとのことです。



住所:大阪府大阪市北区中津2丁目5-10

アクセス:阪急神戸線・宝塚線「中津駅」より北東に徒歩7分。

【南長柄八幡宮】(みなみながら はちまんぐう)大阪市北区





【南長柄八幡宮】(みなみながら はちまんぐう)大阪市北区



応神天皇を主祭神とします。織田信長が石山合戦で本願寺を攻めたてるための兵糧を備蓄するための古い土蔵が、かつての境内にあったといわれています。

1744年には(かつての)境内の神木の松に、鶴が巣をかけて子を育てたことで、その見物人が増えたとのことです。また、当時の流行歌などにも詠みこまれることがあったといわれています。



住所:大阪府大阪市北区長柄中1-4-25

アクセス:大阪市営地下鉄谷町線・堺筋線、阪急電鉄千里線 天神橋筋六丁目駅から北へ徒歩4分。

【長柄八幡宮】(ながら はちまんぐう)大阪市北区





【長柄八幡宮】(ながら はちまんぐう)大阪市北区



【長柄八幡宮】の由緒については、1296年(永仁4年)に山城国の石清水八幡宮(男山八幡宮)から神体を勧請して祀ったのが起源。1610年(慶長15年)に片桐且元が本殿・幣殿・拝殿を改築したとのことです。八幡大神を主祭神とします。





住所:大阪市北区長柄中3-3-1 

アクセス:大阪市営地下鉄谷町線・堺筋線、阪急電鉄千里線 天神橋筋六丁目駅から北へ徒歩8分。城北公園通 に面しています。

【淀川神社】(よどがわじんじゃ)大阪市都島区





【淀川神社】(よどがわじんじゃ)大阪市都島区



1953年に旧友渕村の式神を祀っていた十五神社と旧毛馬村の式神を祀っていた八幡大神宮(八幡神社)の式神を合祀する形で十五神社の境内に設立。

十五神社、八幡神社ともに創建年代は不明であるが、平安時代初期に「毛志馬」や「鞆淵」などの地名が見られることから、その頃から氏神社として祀られたものではないかとされる[1]。当時、淀川河口の海賊を取り締まる為の役人が同地に配備され、彼らによって全国に名高い15柱の神々を祀った事から「十五神社」と呼ばれるようになったと伝えられている。

明治42年(1909年)、政府の命令により、旧十五神社は同区の櫻宮に、旧八幡神社は旭区の大宮神社にそれぞれ合祀された[2]。それ以来、式神がいなくなった両地域の住民から神社の復興を求める声が高まり、昭和28年(1953年)、社殿のみ残されていた旧十五神社の境内を利用して毛馬町、大東町、友渕町の総鎮守として当社が再建され、昭和34年(1959年)、単立宗教法人の承認を得た。

本殿前には江戸時代の俳人、与謝蕪村の銅像がある。蕪村は毛馬村の有力者の家の生まれで、20歳になる前に村を出た。その後は江戸や京都に移り住み、一度も故郷に帰る事は無かったが、晩年、毛馬に帰省する少女を描いた俳詩「春風馬提曲」を作り、その中で「春風や 堤長ごうして 家遠し」という俳句を詠んでいる。



祭神は、天照皇大神、八幡大神、住吉大神、賀茂大神、廣田大神、松尾大神、熊野大神、稲荷大神、三十川大神、春日大神、白山大神、大原野大神、子守大神、布留大神、生野大神。



住所: 大阪市都島区毛馬町1-2-11

アクセス:大阪市営地下鉄谷町線都島駅より徒歩16分、天神橋筋六丁目駅より徒歩18分。大阪環状線桜ノ宮駅より徒歩21分。

【桜宮御旅所 】(桜宮御旅所)大阪市都島区





【桜宮御旅所 】(さくらのみやおたびしょ)大阪市都島区



大阪市都島区善源寺町に【桜宮御旅所 】(さくらのみやおたびしょ)があります。大江山の鬼退治で有名な源頼光の荘園だったところに、産土神社(八幡宮)が鎮座していた場所です。明治になって櫻宮(桜宮神社)に合祀され、現在は【桜宮御旅所 】として残っています。また、源頼光の四天王と呼ばれた中のひとり渡辺綱が、こちらのお社に詣でる際に馬を繋いだとされるのが「渡辺綱・駒つなぎの樟」であり、樹齢900年、大阪府の天然記念物第1号に指定されましたが、戦災で枯死してしまったとのことです。

また、この場所に「楠玉神社」についての案内板があります。 楠玉神社は、元は日本製紙・日本板紙の工場の企業内神社で、工場の閉鎖によってこの場所に移されたとのことです。



住所:大阪市都島区善源寺町1丁目11-26

アクセス:地下鉄谷町線「都島駅」から約500m。または、

JR大阪環状線「桜ノ宮駅」から約1.0km。

【西堤神社】(にしつつみじんじゃ)東大阪市





【西堤神社】(にしつつみじんじゃ)東大阪市



御祭神:天照皇大神、豊受大神。この神社は、元三十八社大明神と称し、当郷一円の郷社であった。現在は西堤の氏神、産土神、鎮守神として崇敬されています。「天照皇大神」は、明治4年伊勢神宮御分霊を祀る。三貴神の一社。国民の総氏神。「豊受大神(とようけのおおみかみ)」は、生産の神。衣食住の守護神です。また境内にある「水神社」は「鱗殿」とも呼ばれて、鳥居をくぐって直ぐの右側(北側)にあり、水の神「内介池伝説」に関わりのあるお社です。水神さんの祠の周囲の堀には昔は亀が住んでいたそうです。

境内神社の御祭神について;

・天満宮:菅原道真公を祀る。

・稲荷社:稲荷五神を祀る。約400年前伏見稲荷より勧請。

・水神社:鱗殿ともいう。

・八大竜王:雨乞いの神。

・楠大明神:東大阪市の保存樹指定。樹齢推定500年のご神木。



住所:大阪府東大阪市西堤1-11-13

アクセス:大阪市営地下鉄・中央線、高井田駅(JRおおさか東線・高井田中央駅)、東南東約650m。




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