天王寺区城南寺町のねしゃかの寺、【蓮生寺】(れんせいじ)について;
山号 宝池山、浄土宗知恩寺末寺、文禄元年(1592)僧天譽創建、大坂夏の陣で焼失、延宝年間(1673~1681)に復興、正徳4年((1717)台風で大破、享保年間(1716~1736)再興、戦災で昭和20年(1945)焼失、昭和59年((1984)再々興。
山号 宝池山、浄土宗知恩寺末寺、文禄元年(1592)僧天譽創建、大坂夏の陣で焼失、延宝年間(1673~1681)に復興、正徳4年((1717)台風で大破、享保年間(1716~1736)再興、戦災で昭和20年(1945)焼失、昭和59年((1984)再々興。
寝釈迦像は江戸初期の作で青銅製重さ500キロ、寺伝に依ると、「昔、正斎という念仏行者が、道頓堀の墓地に草庵を建て、この尊像を安置して、一千日念佛を行じたところ、諸人の帰依ことのほか厚く、群集が集まり、その前に市が出来、千日念佛前と呼ばれ、今日の千日前の基となりました。明治維新に神仏分離令が出て、神仏合祀が禁じられたので、当寺に祀られていた金比羅宮を遷宮して、その跡へお迎えしました。香華絶えることなく、病気あれば痛むところをなでて、信心祈願すれば、悉く平癒すると云われています。一般に釈迦の涅槃像は右を下にした横臥像ですが、この涅槃像は真上を向いて仰臥しています。
このお堂に、祀られている子安観音は後奈良天皇(1526~1557)の時代に、大江に岸から出現したと伝え、ある母親が、娘の難産で必死になって中山観音を念じていたところ、この子安観音を拝むようお告げあり、参拝すると忽ち丈夫な孫が生まれた。それからは安産の守護佛として広く信仰されたと云われています。堂内には一番那智から三十三番谷汲まで西国三十三箇所の本尊を模した像が祀られています。
住所:〒543-0017 大阪府大阪市天王寺区城南寺町5-16
アクセス:大阪近鉄上本町駅11出口から徒歩約5分
アクセス:大阪近鉄上本町駅11出口から徒歩約5分
天王寺区城南寺町の【蓮生寺】は丁度辻の角。小さな看板がかけられていて『ねしゃかの寺』と書かれています。
ねしゃか像は珍しいもので、大阪ではここだけのものと思われます。
5,6段の石段を上って境内に入りますと、すぐ左側のお堂があります。
5,6段の石段を上って境内に入りますと、すぐ左側のお堂があります。
入るとおしゃか様の寝姿。ゆったりとした十畳敷ほどのお堂のまん中に、黒うるし塗りの木製のベットに、北を枕にして、右手を頬に、静かな寝顔。
青銅製で、黒光りして古さを感じます。だけど美しくつるつる。両足首がすそから揃えて出ています。足の裏もつるつるです。ねしゃか様の足の裏をさわることができるのは大阪ではここだけだと思います。
蓮生寺さんのしゃか堂は、今から300年も昔にすでにあって、このねしゃか様は、千日前の法善寺にあったもので、明治に入ってから、ご縁あってこの蓮生寺さんにおまつりされたそうです。
蓮生寺さんのしゃか堂は、今から300年も昔にすでにあって、このねしゃか様は、千日前の法善寺にあったもので、明治に入ってから、ご縁あってこの蓮生寺さんにおまつりされたそうです。
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