四条畷駅を降りて道路に立つ白く大きな鳥居をくぐり、山の方を目指して真っ直ぐの坂を上った所にある四条畷神社の参道階段手前から北へ5分程歩くと、住吉平田神社へ着きます。
この神社の由緒は、
当社の創建は『神社由緒記』には「平安初期の寛平・延喜年間(889~923年)の頃、飯盛の麓に鎮座したとあるが、往昔のことは不詳である」としている。 1815年(文化12年)の『南野村改邑鑑』には「(住吉吉田神社は)現在まで三牧大和とその子伊織、孫大和と3代神職が続いているが、それまで社家がなかったので(三牧家が神官となった)元文年間(1736~41年)住吉大明神の神主吉田家に願い出て受領したので、これを機に住吉神社と平田神社とが合祀した」との記録が残る。 「住吉神社」は往時より飯盛山麓にあり、その時期や、海の神である住吉社がこの地に祀られた理由などは不詳であるが、「平田神社」はもとは南野村字平田にあり、1853年(嘉永6年)の『南野村庄屋重右衛門扣帳』には「慶長年中(1596~1615年)の頃、この地で打死した平田という人の御霊を祀る祠があった」とされています。
この神社の由緒は、
当社の創建は『神社由緒記』には「平安初期の寛平・延喜年間(889~923年)の頃、飯盛の麓に鎮座したとあるが、往昔のことは不詳である」としている。 1815年(文化12年)の『南野村改邑鑑』には「(住吉吉田神社は)現在まで三牧大和とその子伊織、孫大和と3代神職が続いているが、それまで社家がなかったので(三牧家が神官となった)元文年間(1736~41年)住吉大明神の神主吉田家に願い出て受領したので、これを機に住吉神社と平田神社とが合祀した」との記録が残る。 「住吉神社」は往時より飯盛山麓にあり、その時期や、海の神である住吉社がこの地に祀られた理由などは不詳であるが、「平田神社」はもとは南野村字平田にあり、1853年(嘉永6年)の『南野村庄屋重右衛門扣帳』には「慶長年中(1596~1615年)の頃、この地で打死した平田という人の御霊を祀る祠があった」とされています。
所在地:大阪府四條畷市南野2丁目18-27
最寄駅:JR学研都市線「四條畷」下車、東へ、四條畷神社の参道階段の手前を北へ、約200m
最寄駅:JR学研都市線「四條畷」下車、東へ、四條畷神社の参道階段の手前を北へ、約200m
さて、この神社は心霊スポットとしても有名です。雲一つなく良く晴れた日であっても、
地元の人は大人でもあまり好んで近づく人はいないといわれています。訪れたときは、一切そんな雰囲気はなく気持ちよくお参りしました。ただ、神社に珍しい看板が立っています。四条畷警察からの「さあ、新しい出発だ!」の看板です。(添付の最後の写真です。)
地元の人は大人でもあまり好んで近づく人はいないといわれています。訪れたときは、一切そんな雰囲気はなく気持ちよくお参りしました。ただ、神社に珍しい看板が立っています。四条畷警察からの「さあ、新しい出発だ!」の看板です。(添付の最後の写真です。)
なぜこの神社の境内にこの看板?
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