【本照寺】(ほんしょうじ)八尾市
由緒については、境内に「本照寺復興之碑」があります。そこに記されている内容は、「永録元年 開基光要院日○上人にして創立する。寳永二年 正徳、寳歴年間に再度の火災に遇い第六世日治上人本堂を再建する。寛政十二年 鎮守堂、鐘楼堂、薬○門の三ヵ所布屋久左衛門建立する。更に妙見堂、奥座敷の二ヵ所浅田可兵衛寄付建立する。文化十三年 第十七世日○上人の代に衆檀同心協力して諸堂落成し昭和に及ぶ。昭和二十年 大東亜戦争戦災に依って鳥居に帰す。昭和四十三年 第二十九世日宗代に復興委員会を設立、この時都市計画に依って境内地の一部削減され遂に郊外へ移転建築の止むなきに至り當地に移す。昭和四十六年 本堂、妙見堂庫○等、再建落成し、十月三日日蓮大聖人降誕七百五十年慶讃記念と共に落成式を行う。第十九世 宗鳳記」
この【本照寺】(ほんしょうじ)の横に【妙見菩薩】(みょうけんぼさつ)があります。
また、境内に郡川30号墳があります。6世紀後半の古墳。両袖式の石室で、玄室の平面形状が正方形に近い形をしていることが特徴的です。
この【本照寺】(ほんしょうじ)の横に【妙見菩薩】(みょうけんぼさつ)があります。
また、境内に郡川30号墳があります。6世紀後半の古墳。両袖式の石室で、玄室の平面形状が正方形に近い形をしていることが特徴的です。
所在地 :大阪府八尾市黒谷6丁目74
アクセス: 近鉄「信貴山口」駅から東南東へ徒歩約5分
アクセス: 近鉄「信貴山口」駅から東南東へ徒歩約5分
(撮影:2017/3/5)
芳沢あやめは、五代を数える江戸時代の歌舞伎役者である。初代芳沢あやめは、歌舞伎の女形芸を大成した江戸時代、元禄期の代表的歌舞伎役者である。このたび、本照寺の境内から二代目、三代目、五代目の墓碑が発見された。
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